映画『ジョーカー』: "All I have are negative thoughts."

トッド・フィリップス監督の映画『ジョーカー』を観た。日本公開した翌日のことだ。

映画『ジョーカー』は、タイトル通り、アメリカンコミックスの代表的作品「バットマン」に登場する有名な悪役「ジョーカー」を主人公に据えている。ピエロを演じて日々の食い扶持を稼いでいた貧しく不幸な男アーサー・フレックが、ジョーカーへと変貌していくまでを描く。

ジョーカーといえば、近年ではクリストファー・ノーラン監督の映画『ダークナイト』(2008) が有名で、その中でヒース・レジャーが演じたジョーカーは伝説的である(『ダークナイト』公開前にヒース・レジャーは薬物中毒で死亡する)。一方、ホアキン・フェニックスが主演する本作『ジョーカー』は、当然のように『ダークナイト』のジョーカーの影響が見られる。個人的には『ダークナイト』の方はあまり面白くなかった。なぜかというと、わたしはバットマンが全然好きじゃない。力もあり金もあり、街の平和を願い頑張るだけの余裕がある程度にハッピーな男を好きになれない。

バットマンは好きじゃないが、本作『ジョーカー』で描かれたアーサー・フレック=ジョーカーは好きになった。彼はハッピーではない。彼はあまりに辛い出来事が続いて、人生に絶望して、死にたくなっていた。そんな中で偶然手元に転がり込んだ銃によって、ただの不幸な男が稀代の悪役ジョーカーになっていく。その悲壮な後ろ姿が、視聴者に強い説得力を持って描かれている。むしろこの映画は、そこに全力を尽くしている。

『ジョーカー』は、ノーラン監督の『バットマン』シリーズよりも、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』のような映画だ。アメコミ映画らしい部分は欠片もない。主人公の鬱屈とした感情の流れと揺らぎと爆発を、固唾を飲んで観察していくような映画だ。そして、同じように不幸な人生を送っている者だけが思う権利がある、「このジョーカーはわたしだ」、と。

シェイクスピアの『ハムレット』、ドストエフスキーの『罪と罰』、二葉亭四迷の『浮雲』……そうした近代的人間の悩みを描き切った傑作と同じ横顔をしている。同じ立ち姿をしている。同じ悪夢を見ている。同じ血反吐を吐いている。この『ジョーカー』という映画は。

アーサー・フレック=ジョーカーが周りの世界を見るときの目と表情。わたしが見ているものすべてに何の意味もない。絶望以外の感情を失った人間はそんな表情になることを、わたしは知っている。自分のことのように。

You just ask the same questions every week. “How’s your job?” “Are you having any negative thoughts?” All I have are negative thoughts.
あんたは毎週同じことを訊いてるだけだ。「仕事はどう?」「マイナス思考になったりしてない?」マイナス思考以外の何も考えられないんだよ。(カウンセラーに対するアーサー・フレックのセリフ)

少し弱いと思ったのは、物語の終盤部分。一言で言えば、派手だが感慨の少ない締まり方になっている。本作『ジョーカー』において、人間アーサー・フレックは見事に描かれたが、悪役ジョーカーの描かれ方は平凡だった。また、個人的には、ジョーカーという個人の不幸の問題が、バットマンの「ゴッサムシティ」という設定によって社会問題ともつなげさせている構図も気に入らなかった。が、これは原作がある以上、仕方ない。

それでも、本来物語の体をなさない「人生の落伍者の陰鬱な風景」を、ジョーカーというシンボルを利用することで、美しく反抗的な物語に昇華させたこの映画は傑作と呼びたい。

(2019/10/13 追記)

面白かったので、次の週、もう一度映画館に行って観た。自分で複数回同じ映画を観に行ったのは生まれてはじめてだ。

2度目は、1度目とほとんど逆で、物語序盤がつまらなく、中盤から終盤は面白く感じられた。その理由の1つは、『ジョーカー』の序盤はただの人間アーサーの暗い人生を描いているだけで、あくまでもその後のジョーカーへの変身のための助走であるということ。これはアメリカンニューシネマ的な特徴ともいえる。理由のもう1つは、先週観たときはより絶望を心に抱えていたので、アーサーの心に強く共振していたんだろう。今日観直したことで、わたしの肌のどこかに噛まれていたジョーカーの毒牙が抜けたような気がした。しかし、やはり、どんな傑作だとしてもこんな頻繁に繰り返し観るものではない。

物語の結末で、精神病院にいるジョーカーが「ジョークを思いついた」と言う。だが結局明かされないそのジョークとは何なのか。この映画全編が「信頼できない語り手」による物語であるように、そのジョークの答えも鑑賞者に様々な解釈を生み出しうる。とはいえ、ブルース・ウェインのカットも挿入されていることを考えると、バットマンのアメコミの中でも有名なアラン・ムーアによる短編 “Batman: The Killing Joke” 中の「ジョーク」であるように思える。

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