『Seraphic Blue』の記憶
はじめに
『Seraphic Blue』についてはずっと話したいと思いながらも、ずっと沈黙していた。作品がシンプルに雄弁なので、言葉が出て来なかった。ただ、知らない人も増えている今、世に忘れられないように書いておきたい。
2004年、天ぷら(榊本祐)というフリーゲーム製作者が『Seraphic Blue』というRPGツクール製のRPGを発表した。天ぷらは過去にも『SACRED BLUE』『STARDUST BLUE』というRPGを発表しており、評価が高かった。もちろん世のミリオンセラーになったような傑作RPGと比べれば、個人が無償で作る限界やRPGツクールという限界があったわけだが、その範囲ではトップクラスといってよかった。『Seraphic Blue』は天ぷらの3部作の最後の作品である。その後、長い沈黙を経て新作『SadmireBlue』が予告されもしたが、結局天ぷらはインターネット上から消失して、『Seraphic Blue』が実質最終作になった。
わたしが『Seraphic Blue』をプレイしたのがいつか。過去の日記を散失してしまったため、もう分からない。大学生1年の夏休みのときじゃなかったか? 2006年に天ぷら自らが作ったアップデート版『Seraphic Blue Director’s Cut』だった。50時間ほどのプレイ時間の上、クリアして、感動した。こんなにわたしの心臓を突き刺すように感動させたのはドストエフスキーの『罪と罰』以来だった。『罪と罰』以前はないし、実は『Seraphic Blue』以後もない。
Seraphic Blue をプレイする方法
『Seraphic Blue』はクリアまで50時間かかり、難易度が高めで、RPGツクール2000のグラフィックが粗いので、プレイを勧められない。またDirector’s Cut版は、作者がいなくなってメンテナンスされなくなったせいでもう公開されていない。わたしはプレイしたことがないが、今であれば有志による改造版『Seraphic Blue Director’s Cut (Altered)』がよさそうだ。また、無印版はVectorで公開されたままだ。
わたしは世にある『Seraphic Blue』の実況プレイのほとんどを視聴済みだが、勧めやすいものはなかなかない。観るだけなら実況のないプレイ動画でもいいはずだが、さすがにそれよりは実際にプレイした方が「臨場感」 があってよい。
Seraphic Blue はどんなゲームか
『Seraphic Blue』はSFファンタジーRPGである。
(1) 戦闘システムは、『FINAL FANTASY X』のカウントタイムバトル風で、敵味方の行動順を考慮した戦略性が求められる。「フィールドエレメント」という概念があって、魔法を使うとその場の属性が入れ替わり、それ次第でさらに高位の魔法が使えるようになる。これは敵も同様のため、敵に高位の魔法を使わせないように、特定の属性を打ち消すような戦術が必要になる。難易度は高めだが、面白い戦闘システムになっている。
(2) グラフィックは、もちろんRPGツクール2000製なので粗々だが、ツクールのデフォルトの素材を全然使わず、世界観に沿った素材で満ち溢れている。特にキャラクターデザインは繊細な美しいタッチで、今でもわたしは好きだ。イベント絵も結構用意されている。キャラクターデザインを手掛けた人が描いたイベント絵は素晴らしいが、その人は途中で抜けてしまって別のイラストレーターに頼んだらしく、その絵のタッチの差は違和感が強いが、まあ仕方ない。
(3) BGMは、インターネットに公開されたフリーの曲群から作品にマッチするものを天ぷらが探したようだが、その選曲センスはよい。Director’s Cut版は無印版と選曲を一部変更したらしいが、無印版の方が好きという意見もある。わたしはDirector’s Cut版しか知らないので、分からない。Forever Smile、Breeze、Farewell Song、Soft Rain、DYCON、Dream、Classroom That Day、Paulo、Hometown Seen Someday、Strange Legend、Cajun DownHomeなど、いずれもイベントに合ったBGMが流れて印象深い。
(4) シナリオは、一種のセカイ系で、主人公は世界を救済することを強制させられて本人の精神は病み続けて、暗くシリアスな物語が展開される。『Seraphic Blue』に対する一番の印象は「青臭さ」であり、いわゆる高二病的な思春期の「大人ぶった幼稚なニヒリズム」が蔓延している。ただ『Seraphic Blue』は、登場人物も作者自身もその青臭いニヒリズムを発症していながらも、最終的にそのニヒリズム(アンチテーゼ)を止揚させようとしている。『Seraphic Blue』は、ニヒリズムの超克という点でニーチェたちと同じ次元の課題に挑んでいる近現代の典型的な物語であり、そして、青臭いニヒリズムからの脱皮という点で近現代の典型的な発展小説でもある。また、ストーリーはいくつもの転換点を持ち、映画『インターステラー』(2014)や『君の名は。』(2016)に先行して物語の重層性を実現しており、そのクオリティは商業の傑作とされるゲームと比較しても第一級。青臭さ、あるいは素人臭さのせいでそう見えないかもしれないが、シナリオのよさだけで世界の傑作ゲームに殴ることができる。
これだけ優れている一方で、(a) RPGツクール2000製によるUI/UX/グラフィックの限界、(b) 人によっては拒否感すら出る青臭いセリフと思想、(c) 昔のゲームのような若干雑でシビアな難易度調整によって、『Seraphic Blue』を好きでない人もいるだろう。
Seraphic Blue のストーリー
『Seraphic Blue』のストーリーについては、もう少し話さないと意味がない。
『Seraphic Blue』では、主人公たちは暗く絶望して死を希求している。彼らの思想は思想とすら言えないし、彼らの絶望の質は深みを持たない。しかし、小説家でも哲学者でもないまだ若いゲームクリエイターの描く絶望だ。どれほど青臭くても、まあ目を瞑ろう。ただ独りで何年間も絶望の苦しさを味わい続けた人だけが知っている、心臓の音がある。その心臓の音を知らない人が『Seraphic Blue』を面白くないと言ったとして、だから何なんだ? 知らない人は幸福なだけだ。
『Seraphic Blue』の結末は不思議なほど静謐で、希望と絶望が混じり合っているのか、絶望だけが残っているのか、希望だけが残っているのか、分からない。映画『ショーシャンクの空に』(1994)は希望に向けた物語の傑作だった。『Seraphic Blue』でも『ショーシャンクの空に』のエピソードを引用しているが、『Seraphic Blue』は希望と絶望の双方向に同時に向かっていった物語だった。注意すべきだが、『Seraphic Blue』の物語の最後に1つだけ奇跡がさらっと呈示される。この一瞬がなければ『Seraphic Blue』は、ドストエフスキーの『白痴』や『悪霊』のような絶望の物語になっていた。この一瞬だけの奇跡が『Seraphic Blue』を美しい傑作にした。
『Seraphic Blue』の重層的な物語は、素人臭さは蔓延しているものの、そこに目を瞑れば面白さが突き抜けている。短い序章を置いて全4章の構成になっているが、章が代わるごとに大きな転換がある。最終章の中ではさらに、2つの大きな真相が明かされる。これほど大規模で重層的な物語を作り上げて一本の糸にしたのは、天才的な業だ。
Disclose with Tales (ネタバレ注意)
Disclose with Tales で『Seraphic Blue』の創作秘話を作者自身が語っている。それを読むと、まるでドストエフスキーの創作ノートを思わせる。『罪と罰』も『白痴』も『悪霊』も、予定通り書かれた物語ではなかった。登場人物が想像を超えた姿を現わし、作者を導いて物語を一転曲げてしまう。
その頃のヴェーネとは、あまりにも正統派のヒロインでした。主人公であるレイクとユアン、そしてオーファの魂を引き継ぎ、クルスク家の投げ掛ける問いに思い悩み、しかしそれでも健気に世界を救い、ある一つのエンディングを紡ぎ出す、そんな天使でした。
出来上がったのは、何とも凡庸で退屈な物語でした。確かに権謀術数やクルスクの主張は描けている、だが。だがこのヒロインは何なのか? どこまでも滅私奉公な彼女の、心は、人格は、魂は、何処にある? 見ていて詰まらない、気味が悪い、薄っぺらい。これは人ならざるヒロインであり、偽りの天使である。
よし、彼女を人間にしよう。焼け付くほどの心と人格と魂とを、彼女に宿そう。
その結果、Seraphic Blueは変貌を遂げました。星の生命を巡る叙事詩から、ある天使にまつわる、暗く深き闇の物語へと。ヴェーネ・アンスバッハというキャラクターに、心と人格と魂とが宿り、果たして彼女は主人公の代走を引き受けるだけのヒロインから、主人公のそれ自体へと変わったのです。
そしてこれに伴って、その時に提示されていたエンディングもまた、偽りのエンディングとして、その意味を完全に失い、消去されたのです。
『Seraphic Blue』はプレイしてみればとても明解な作品であり、わたしがほかに話すことはない。