『NieR: Automata』、クリアしました
2ヶ月前、スクウェア・エニックス発売、プラチナゲームズ開発の『NieR: Automata』(2017)を買った。Steam でセールをしていて安かったから。1月くらい断続的に進めて、今日、エンディングまでプレイした。エンディングといってもいくつもあるのだが、いわゆるトゥルーエンドにあたる「Eエンド」までやった。

『NieR: Automata』は、『ドラッグオンドラグーン』シリーズや『NieR』シリーズのヨコオタロウの作品で、彼の描く世界観や陰鬱なシナリオは評価が高い、とされる。ただわたしは本作がはじめてのヨコオタロウ作品なので、知らなかった。
ジャンルとしてはアクションRPGで、『ベヨネッタ』などで知らせるプラチナゲームズが開発しており、スタイリッシュなアクションを特徴とする、とされる。これもわたしは本作がはじめてなので、知らなかった。
面白かったかというと、面白かった。ともかく評判通りの作品だと思う。白と黒が基調のアンドロイド少年少女と機械とポストアポカリプスの世界観は美しいし、シナリオと音楽もそれに沿って美しい。主人公である2Bと9Sという2人のキャラクターは世に好まれて、特に2Bはサブカルチャーにおける新しいアイコンになった。畢竟2Bは綾波レイの系譜であるとか、シューティングゲーム『斑鳩』などのモノクロデザインのオマージュであるとか、いろいろ言えるんだけれど、キャラクターデザイナー吉田明彦の仕事とそれを劣化なく適用させたキャラクター CG のクオリティは素直に賛えたい。
欠点はたくさんある。それは散々言われていることなので、ここでは書かない。多くの欠点はヨコオタロウの執着ゆえに同時に生まれ落ちたものであって、単純にそこを直そうとしたら『NieR: Automata』のよさも消えてしまうだろう。ただ1つだけ言うと、2Bと9Sのデザインは優れているのに、同じく主人公格であるA2のデザインは劣っている(というか、2Bと9Sの CG は吉田明彦デザインを凌駕しているほどなのに、A2の CG は吉田デザインから劣化しているのが問題)。
シナリオについては「Eエンド」までやるとおおよその全貌が明らかにされ、いい物語だったなと思える。明るい物語ではなく、むしろやるべき宿命(さだめ)を徹底した物語だ。
物語の結末は、ヨコオタロウにしてはハッピーエンドだと言われている。確かに希望のあるエンドなんだけど、その結末にするなら「もう1周」があるべきじゃないか? とわたしは思ってしまった。プレイヤーに解釈の余地を許すようにした意図は分かるが、作品は作品として完結しているべきだとわたしは思っているから。しかし、『エヴァンゲリオン』のようにそうでない作品があってもよいだろう。ヨコオタロウが「エヴァ」の影響を受けていることは自ら言っている)。「エヴァ」のフォロワーとして、あるいは「エヴァ」の1つの解釈の姿として、『NieR: Automata』は類似作と比べ物にならないほどよく作られてはいる。
主人公が人類の使命のための道具として始まり、人類の使命のための道具として終わっていくその残酷さ。これは「エヴァ」が描いたことでもある。この「人類の使命の道具としての主人公・ヒロイン」という構図は「エヴァ」以降のセカイ系の典型であって、秋山瑞人の傑作セカイ系ライトノベル『イリヤの空、UFOの夏』(2001-2003)でも、思想性においてゲーム史に残すべき傑作フリーゲーム『Seraphic Blue』(2004)でも真似られている。だが、『Seraphic Blue』は「エヴァ」や「NieR」のように冷たさを徹底しておらず、近代的な人間性への信頼と希望を残した思想に留まっている。「エヴァ」にそういう意図があったかは怪しいが、ともかく「エヴァ」や「NieR」の機械的な冷たさは、結果としてわたしたちに現代的なリアリティを感じさせる。しかし、「NieR」でこの冷たさを美しく描いているのは、闇の思想であり危険を孕む。2Bや9Sが愛するものを殺すシーンは、美しくて残酷だ(これは2Bのキャラクター造形に影響を与えたかもしれない『進撃の巨人』のミカサの台詞でもあり、両キャラクターはいずれも石川由依が声を当てている)。
もしかしたらそれ以上に心に残ったかもしれないのは、もっと単純な感情。寂しさだった。2Bや9Sにはもう出会えない。対比したくもない現実だけが残余する。わたしはこの感情をよく知っている。これまでもいくつかの作品でこの感情を植え付けられた。たとえば『イリヤの空、UFOの夏』で。なんなんだろう、この感情は。わたしは首を傾げる。
ともかく『NieR: Automata』は、面白かった。欠点も多いし、「エヴァ」フォロワーにすぎないと言えばそうだし、本質的には闇の思想だが、それでも心に残った。傑作だろう。あぁ…………。