森鴎外の「追儺」
「追儺」は、森鴎外の中期はじめ(1909年5月)の短編。

森鴎外はドイツ留学後、「舞姫」などいくつかの小説執筆や文芸翻訳を行ったのち、20年弱、いくつかの文芸活動を除いて沈黙して軍医だけしていたようである。それから再度口火を切ったのが、文芸雑誌「スバル」に寄稿した「半日」、そしてこの「追儺」。その後、「ヰタ・セクスアリス」「青年」「阿部一族」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」などを精力的に書いていく。
森鴎外の著作権は切れているため、「追儺」は青空文庫で読める。青空文庫をそのまま Kindle 化したものもある。
逆に紙の本で読もうとするとなかなかないようで、『舞姫 ヰタ・セクスアリス―森鴎外全集〈1〉』(ちくま文庫)あたりになる。
わたしは、実家にあった古い新潮社の日本文学全集の鴎外の巻で読んだ。巻末の解説は石川淳で、恐らく鴎外の作品の選定も石川淳が行った。「舞姫」「ヰタ・セクスアリス」「青年」「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」といった選定はごく普通だし、鴎外の小説は大体短いので代表作はほとんど入れられるが、その中に比較的無名な「追儺」を含んでいる。
「追儺」は奇妙な味の短編で、当時でいえば夏目漱石の『吾輩は猫である』と同類の変な小説である。近代日本文学の幕開けであるにも関わらず、19世紀文学より先に20世紀文学的なウィットを含んでいる。
エドガー・アラン・ポーの一部の短編のような、物語の筋よりも、作者による謎の論考が内容の半分を占めている。ポーの短編はその論考が物語と有機的に結び付いて意味を持っていたが、「追儺」は特に面白くもなんともない短い豆まきのエピソードを語るにあたって、その前に「ただの豆まき話を書いてもよいだろう」という言い訳を長々としているだけ。しかしその言い訳が面白い。小説というより雑文。
昼の思想と夜の思想について:
(前略)どうして何を書いたら好からうか。役所から帰つて来た時にはへとへとになつてゐる。人は晩酌でもして愉快に翌朝まで寐るのであらう。それを僕はランプを細くして置いて、直ぐ起きる覚悟をして一寸寐る。十二時に目を醒ます。頭が少し回復してゐる。それから二時まで起きてゐて書く。
昼の思想と夜の思想とは違ふ。何か昼の中解決し兼た問題があつて、それを夜なかに旨く解決した積で、翌朝になつて考へて見ると、解決にも何にもなつてゐないことが折々ある。夜の思想には少し当にならぬ処がある。
「夜の思想」という考えはなんか分かってしまう。この話自体が、「夜の思想」的な気まぐれに満ちている。
小説について:
此頃囚はれた、放たれたといふ語が流行するが、一体小説はかういふものをかういふ風に書くべきであるといふのは、ひどく囚はれた思想ではあるまいか。僕は僕の夜の思想を以て、小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す。
「追儺」は実際、どんな風に書いてもよいという書かれ方をしている。
Carneval の祭のやうに、毎年選んだ王様を担いで廻つて、祭が過ぎれば棄てゝ顧みないのが、真の文学発展の歴史であらうか。去年の王様は誰であつたか。今年の王様は誰であるか。それを考へて見たら、泣きたい人は確に泣くことの出来る処があるが、同時に笑ひたい人は確に笑ふことの出来る処がありはすまいか。
これは高慢らしい事を書いた。こんな事を書く筈ではなかつた。併し儘よ。一旦書いたものだから消さずに置かう。
「一旦書いたから消さずにおこう」というのは「夜」的だ。「昼」なら実際に消してしまう。
物語の本筋である豆まきの話について。この部分は特に面白くない。毎週会う友達に、昼ごはんを一緒に食べながら雑談で「先週、こういうことがあったんだよ」と話す程度にすぎない。