宮崎駿の『風立ちぬ』
宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』 (公式サイト)を機会があって観た。

2009年から2010年まで、宮崎駿は模型雑誌「モデルグラフィックス」で『風立ちぬ』という漫画を描いた。鈴木敏夫プロデューサーにすすめられてそれを映画化したのが本作となる。
よく言われるように宮崎駿は、ミリタリーマニアで、飛行機好きで、政治思想的には左翼で、エンヴァイロメンタリストで、ロリコンで、児童文学・少女漫画好きだ。宮崎監督作品としては異例のファンタジーでない『風立ちぬ』は、前半の嗜好が反映された作品になっている。関東大震災のシーンの表現力は圧倒される。無機物たちは漫画的デフォルメによって生き物のように躍動する。飛行機の描写もいいけど、なにより、主人公やヒロインが風に飛ばされた帽子やパラソル、紙ヒコーキを追うシーンが綺麗だ。
物語は、零戦設計者堀越二郎に焦点を当てたものだが、2時間の映画らしく、様々な側面描写をそぎ落としている。堀越二郎という個人を描くのだから、戦争の展開は描かない。専門家やマニアだけが楽しめる部分になるから、設計の詳細は描かない。たびたび主人公は夢を見て、イタリアの飛行機設計者カプローニとその中で邂逅し対話して、主人公の心理の流れや気持ちの指針となる。一方で、戦争については、終盤にセピア色で多数の戦闘機が壊され地面に墜落しているカットが現れるだけだ。
小説家堀辰雄の作品『風立ちぬ』(青空文庫) をモチーフとしている通り、主人公とヒロイン菜穂子(堀辰雄に同名の小説がある)の恋愛も描かれている。菜穂子は美しく、眼鏡をとった二郎は格好よい。確かに堀辰雄を思わせる、ブルジョア的で西洋的な儚い恋愛で、全然悪くはないのだが、宮崎の少女小説趣味というのか『耳をすませば』『コクリコ坂から』的なものが噴き出ている。運命の出会い、運命の再会、突然の心の通じ合い、2人の恋愛を祝福するキューピット、高速の婚約、変な儀式めいた結婚、そして、あまりにも多すぎるキスシーン。
結核の菜穂子を病院にかえさなかったり、菜穂子のそばで煙草を吸ったりするのは、単純に主人公のエゴイズムだろう。それは実際にほかの登場人物から指摘されていて、宮崎駿も分かった上で描いているみたいなのだが、視聴者にそのエゴイズムを共感させることには成功していない。その瞬間に物語の一部分は破綻して疵を残した。
堀越二郎は戦争を望んでいるわけでないが、戦争のための飛行機を設計し、同僚とその矛盾について話をしている。それは矛盾がある、というだけで話は終わっている。戦争をどう考えるかについて逃げているような作品になっている。そのためか、『風立ちぬ』には戦争について少し納得できないものが残る。主人公のエゴイズムについて納得できないのと同じように。しかし、それを素直に描いているだけ、「守るべきものがいるから命を捨てて戦う」あるいは「戦争ほど悲惨で残酷で、人々を不幸にするものはない」といった陳腐なメッセージよりまともかもしれず。
宮崎駿「時代が僕に追いついた」 「風立ちぬ」公開 :日本経済新聞:
(結果的に描かなかったのは)あえて避けたのではなく、(描くべきことは)その時代に自分の志にまっすぐ生きた人がいたということだった。堀越と堀辰雄の2人はインテリで、とんでもないところに(日本が戦争に)行くということを予感している。分かっていても一切そういうものとかかわらない生き方はできるのだろうか。僕は違うと思う。職業人というのはその職業の中で精いっぱいやるしかないんだ。
まるで歴史的感覚をなくしたわけではありません、と言い訳するように、軍の行進の場面を入れたりということはやめようと思った。歴史というものはそういうものだからとあいまいにしたり、零戦は強かったという表現をしたり。そういうインチキ映画は作らない。一生懸命やった人たちのことを描く覚悟をした。
Web 上のレビューや評論を見ると、批判の多くで主人公のエゴの問題が指摘されていた。でも、物語を素直に観ると、エゴはヒロインも大差ない。もちろん解釈の仕方によっては、エゴは主人公だけのものとも言えるが、別の解釈ではヒロインだけのものとさえ言える。それでも、主人公のエゴについて視聴者を納得させられていないことは本作の欠点だろう。宮崎駿自身がアニメの仕事中毒であり家庭を顧みなかったことへの言い訳にならない言い訳を、『風立ちぬ』でしている、という解釈も間違っていないだろう。フェミニズム的観点から批判するのもやさしい。
しかし、本作はむしろ、川端康成の作品のように、非倫理的に美的に観られるものじゃなないかと思った。
悲しいほどに美しいシーンがいくつかある。菜穂子が結核で絵画の上に血を吐いたとき、その血の表現はまさに宮崎なのだが、死んでもおかしくないほど大量に口から溢れ出て、スライムのように息づき、トマトのように赤い。さらに、高山の病院で寝袋みたいな毛布にくるまって日向ぼっこしている菜穂子は、ニット帽をかぶって毛布で顔まで隠して可愛い。