『ドラゴンクエストXI S』、プレイした
『ドラゴンクエストXI S』の Steam 版が出たので、買ってプレイした。
わたしは別に『ドラゴンクエスト』の熱心なプレイヤーではないんだけど、『ドラゴンクエスト』が日本にとって特別な RPG だとは信じている。小野不由美のファンタジー小説の傑作『月の影、影の海』は、終盤まで暗い展開が続くことで有名だが、あの展開は『ドラゴンクエスト』のようなゲームがなければ生まれなかっただろうと想像している(小野不由美はテレビゲームにはまっていた)。ゲームというメディアを活用してそういう深い表現をしてみせた『ドラゴンクエスト』の功績は大きい。
『ドラゴンクエストXI』はかなり評価されてヒットもしたらしい。Switch や Steam 版の『XI S』は、『XI』にキャラクターボイスの追加などを行ったバージョン。
クリアまでプレイしてみると、まあ、面白くはあった。漫画『孤独のグルメ』の台詞で、Web で流行った言葉として「こういうのでいいんだよ、こういうので」というものがある。客が注文した想像通りのものが、変なこだわりを加えず、大衆向けに、期待を上回りも下回りもせず出されることを肯定しているのだ。『ドラゴンクエスト』シリーズの既プレイヤーからすれば、『XI』は「こういうのでいいんだよ、こういうので」という作品になっている。3D CG はもちろん最新作らしく相応に進歩しているものの、PS4 で出たゲームにしては簡素に抑えていて、鳥山明のキャラクターデザインを再現した雰囲気。ゲームシステムも、近年のハクスラや RPG によくある「スキルツリー」っぽいシステムを採用しつつ、古典的なターン制バトルは変わらない(キャラクターごとに行動するときにその場でコマンド入力するスタイルに変わっているが)。シナリオも、過去のドラクエで覚えがあるエピソードの変奏曲で組み合わされている。
2点不満点がある。
(1) シナリオ。物語は大きく3部構成になっている。第1部の終わりで、主人公たちは大きな敗北をする。第2部では、『ファイナルファンタジーVI』の後半みたいに、敗北・離反した主人公パーティの再起・再合流が行われて、ボスを倒してエンディングとなる。第3部では、なぜか主人公は時を遡って第1部の終わりに戻って、敗北・離反もせず第2部のストーリーすべてなかったことになって、ラスボスを倒してトゥルーエンディングとなる。「時を遡る前の元の世界 A」と「時を遡った先の世界 B」とがあって、主人公は世界 A を捨てて世界 B へ行ったのである。この問題は多くの人が思っているようで、Wikipedia にもクリエイター堀井雄二の回答が載っている。「パラレルワールド化するのではなく、歴史は収束されて一つにまとまっていく」のだと言っているが、そういう解釈を許さないような描かれ方をしていたと思う……。世界 A では人気の高い重要キャラクターが死亡しており、主人公はそのキャラクターを生き返らせるために世界 B へ遡ったのだが、結果として世界 A では、残りの仲間たちが主人公もそのキャラクターもいなくなった世界に生きている。
(2) 明るい世界観。元々『ドラゴンクエスト』シリーズは明るい世界観だけれど、シビアなゲーム性や初期の UI やおとぎ話風のシナリオの残酷さが暗い世界を同居させていた。ドラクエ原理主義的な意見だけど、わたしはそれがドラクエの魅力だと思っている。しかし、『XI』は、鳥山明的な風景も明るいし、シナリオも一部を除けば基本的に明るいし、難易度も低い。もっと言うと、描かれるファンタジー世界のリアリティが全然足りない。
それ以外は、よくも悪くも「こういうのでいいんだよ」という作品なので、別に新しさもないし、特別優れている部分もない。