『エヴァンゲリオン新劇場版』序・破・Q・シン観ました

さきほど映画館で制作カラー総監督庵野秀明の『エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)新劇場版』シリーズの完結編 『シン・エヴァンゲリオン新劇場版』 を観てきた。その前に Amazon プライムビデオで『序』『破』『Q』も観ていたので、これでエヴァ新劇場版は通して観終えたことになる。それに、過去記事で書いたように、TV版は昔 Hulu で観ていたし、旧劇場版も中古の DVD を買って観ていたし、貞本義行漫画版も読んでいた。

わたしは結論を先に書いてしまいがちなのだが、今回は順序立てて感想を話そうと思う。といっても長い話にはならない。


旧劇場版を観て、貞本義行による漫画版も読んだけれど、TV版だけで十分だった。

TV版エヴァの記事の付記でわたしは、そう書いた。それ以外にもいろいろなことを書いた。新劇場版『序』『破』は中古の DVD が安かったので買って観ていたが、「TV版だけで十分」という感想は変わらなかった。その後、ヨコオタロウらが製作したゲーム『NieR: Automata』をプレイしたわたしは、エヴァへの評価を奇妙な形で変えさせられることになる。エヴァは多くのフォロワーの傑作を生んでくれた、と。

元々、『シン・エヴァ』を映画館で観る気はなかった。わたしはエヴァ・シリーズをずっと時期をずらして鑑賞してきたし(もし過去に遡れるならリアルタイムで子どものときにTV版を観たかった)、エヴァへの強い思い入れもなかったし、新劇場版を特に評価していなかったので、『シン・エヴァ』も中古の DVD で買って観ようとさえ思っていた。久しぶりに気分転換で映画館に行きたいと思って、『シン・エヴァ』がちょうどよかっただけだった。Amazon プライムビデオで『序』『破』『Q』もやっていて復習できたし。

『序』『破』は以前 DVD で観たはずなのに、TV版のストーリーと記憶が混濁していたらしくあまり覚えていなかった。Amazon プライムビデオで観直したところ、面白かった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11 YOU ARE (NOT) ALONE)

『序』 (2007)はTV版との差異が少なく、一部のストーリーをカットしているもののTV版のよいシーンは引き継がれている。『序』の範囲では主要キャラクターのアスカがまだ登場しないが、単体作品としての完成度は高い。でも、TV版が1995年に作られたという歴史的価値を考えれば、やっぱりTV版こそ評価したい。つまるところ「TV版だけで十分」と言いたい。TV版『機動戦士ガンダム』などと違って、TV版エヴァは作画もよくて長すぎもせず普通に観られるから。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 (EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE)

『破』 (2009)はTV版といろいろな差異が出て、アスカや新キャラクターのマリも登場して、エヴァの面白い要素を全部載せつつ、新しい展開もありつつ、視聴者を裏切ってもいない。新劇場版シリーズで一番面白い作品はこれだろう。『スター・ウォーズ』旧三部作の第2作『帝国の逆襲』の面白さみたいなところがある 。当たり前だが続きものの中間点なので、単体としての評価はしづらい。『破』がTV版よりクオリティが高いのは、年月を経て作られた映画版だから当然で、やはり歴史的価値ではTV版がすごいと思う。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO)

『Q』 (2012)はTV版とまったく異なるストーリーになっている。しかし、そのテイストはTV版エヴァの終盤と類似している。視聴者が期待する甘い部分やわくわくする部分は完全に消失して、そのくせ『Q』でも物語は続編に委ねられる。だから、『破』を遥かに超えて単体評価できない。この物語で一本の映画にされても困る。『Q』のそういうところがエヴァらしい。エヴァはTV版のときからずっと失敗作であり続けたが、失敗作であることがエヴァの特殊な価値でもあった。フォロワーたちに存在しえぬ完成品を妄想させたからだ。

そして、『シン・エヴァ』 (2021)はTV版と旧劇場版(と、もしかしたら貞本漫画版)の最終盤を思わせつつ、新しいストーリーによって完結させている。訳が分からないエヴァ内ロジックのパワー対決展開は庵野エヴァのいつものことで、一瞬退屈にさえなりかけた。が、ともかくエヴァンゲリオン新劇場版はちゃんと終わった。エヴァは謎や伏線が多すぎて、完結しないことには評価もしづらい面倒な作品なので、完結したということにまず拍手したい。これで、エヴァを歴史の中に配置できる。

エヴァは無論、庵野秀明の心情を露呈させた作品である。TV版エヴァ終盤は、視聴者を困惑させるメタフィクショナルな映像とこっ恥ずかしくなるような自己肯定の流れで、異様な幕切れになった。エヴァの制作(や、もしかしたら私生活)で心労著しかったんだろう。旧劇場版エヴァ終盤は、富野由悠季監督の映画『逆襲のシャア』を庵野の私的悪夢にアレンジしたような異常な展開だった。TV版エヴァを作った結果タケノコのように生まれたエヴァオタクたちへの憎悪が、反映されているんだろうか。旧劇場版エヴァにおいて、庵野関東の映像演出は行き着くところまで行き着いた。そして新劇場版エヴァは……現実生活で配偶者に救われたことを示しているんだろうか。

エヴァは、TV版、旧劇場版、新劇場版、それぞれで庵野監督の心情が異なっている。つまりテーマも変化している。だからそれぞれに別の価値がある。TV版(→旧劇場版)→新劇場版には意味的なつながりがあることが、庵野お得意の過去映像切り貼りで暗示されている。しかし、エヴァ・シリーズのテーマは確かに変化していったが、進化まではしていない。TV版には歴史的価値があるが、旧劇場版と新劇場版は別に観なくてよい。どちらかといえば、旧劇場版と新劇場版もまた、エヴァのフォロワーにすぎない。

でもわたしの中では、旧劇場版も新劇場版も全部観てよかった。ここまで観なきゃ、わたしにはエヴァという作品をどう配置すれば分からなかった。批評するということはまともに隅まで作品を観るしかないんだと、思わされた。

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